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「設問が間違っている」という考え方 [番外]

哲学者でエッセイストの土屋賢二さんの「あたらしい哲学入門」という本を読みました。哲学というと難しいものと思われがちですがこの先生の書くものは、難しい話でも面白く語ろうと努められているので素人でも気軽に読むことが出来ます。

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副題の「なぜ人間は八本足か?」というのは哲学を考えるときに陥りやすい落とし穴の例題として示されているものです。

なぜ八本足かと問われたらほとんどの人が答えに窮してしまいますが、実は悩むことはないんです。これは設問が間違っているのです。人間は八本足ではないのに、なぜ八本足かと訊くのはナンセンスです。

ところが、これには何か深い意味があるのではないかと好意的に受けてとめてしまうのです。「王様は裸だ。」と言えないでいる人たちと同じ心理です。

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本文なかにreizanの気を引いた面白い例がありました。

恋しい人に対して「わたしが鳥だったらあなたのもとに飛んでいくだろう」という歯の浮くような恋人同士の会話を、この哲学者は、自分が鳥だったら女の人なんか好きにならずにメスの鳥のところに飛んでいくだろうというのです。

文学的な表現としては認められるが、哲学的にはクエスチョンマークのありえない設定だと指摘しています。

これを見て思い出したのですが、「卵が先かにわとりが先か」というのも難しい問題の一つとして有名です。

どちらが先かと問われた人は「にわとり」と「卵」の姿をイメージしながら答えを見つけようとしますが、今の姿で考えるから答が出てきません。遡ると今の姿とは無縁の単細胞がスタートのはずです。

そう考えると、「卵が先かにわとりが先か」という問題自体がナンセンスだということに気づきます。




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