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小野篁は小野妹子の玄孫(やしゃご)だった [知識・情報]

小野篁(おのの たかむら)を知ったのは、京都のガイド本で六道珍皇寺の不思議な伝説を読んだのが切っ掛けです。

六道珍皇寺は京都市バスを「清水道」で降りて、清水道交差点から松原通を140mほど下った右側にあります。(その220m先には、「みなとや幽霊子育飴本舗」(月曜定休)があります。)

門の左側には「六道の辻」と彫られた石碑があります。つまり、この辺りは仏教でいう六つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の分岐点で、この世とあの世の境ということです。

小野篁は夜な夜な六道珍皇寺の本堂裏庭にある井戸を通じてこの世とあの世を行き来していたそうです。

だから小野篁のことを怪しい人と思っていたのですが、NHKラジオ第二 古典講読「宇治拾遺物語」を聴いていたら、第49話「小野篁広才の事」で教養人だということがわかりました。
そのときの解説で小野篁は小野妹子の玄孫(ひ孫の子)だったということも知りました。

小野妹子といえば遣隋使とセットで教科書に出てくる名前です。その子孫であればむべなるかなと思いました。

「小野篁広才の事」の概要は次のとおりです。
小野篁は嵯峨天皇の家臣でした。
御所の内裏に「無悪善」と書かれた札が無断で立てられました。嵯峨天皇が小野篁に「読め」と申しましたが、篁は「読めますけど畏れ多いことなので読みません」と答えました。それでも「ただ読め」とおっしゃるのでしかたなく読みました。

「さがなくて善からん」(注1:漢文ですから悪を先に読み、無に戻って、最後に善を読みます。注2:悪の字を「さが」とも読んでいましたので、嵯峨天皇の「さが」との掛詞です。)
嵯峨天皇がいなければ世の中は良くなるのに、ということを言っていますから天皇は怒りました。そしてこれを書いたのは小野篁ではないかと疑います。

小野篁が「だから読まないて言ったでしょ、読めるから読んだだけなのに」と口答えしたら、天皇は「じゃあ誰が書いたものでも読めるのか」と言います。
小野篁「読めますとも」。嵯峨天皇「ではこれを読んでみよ」と「子」というの字のカタカナを12個並べたものを見せました。

小野篁「ねこのこのこねこ ししのこのこしし」(「の」は接続詞です。子は「ね」「こ」「し」と読めます。)
と読んだら、天皇が笑って無事おさまったという話です。

宇治拾遺物語の内容は今昔物語と重なる部分がありますが、もう少し洗練されている感じで面白いです。

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