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意外にラッキーな半生でした [推薦図書]

reizanは1948年(昭和23年)生まれの69歳です。団塊の世代の真ん中に当たります。
戦後復員してきた人が結婚したり、妻のもとに戻ったりして、雨後の筍のように子供が生まれたなかのひとりです。

学校の教室には50~60人が押し込められ、中学にあがるとそういうクラスが同学年で10組もあって、それはもう鬱陶しくなるような世界でした。

当時は割を食っているように思っていたのですが、振り返ってみると案外ラッキーだったのかもしれません。ほかの年でなく1948年に生まれたのが良かったようです。

前にも紹介させていただいた「歴史教科書の日米欧比較」(薄井 寛著、筑波書房刊。一読をお薦めしたい名著。)で、終戦直後の頃のことを読むと、GHQの占領政策は懲罰的な意味合いから敗戦国の日本に食糧援助はしないと決めたそうです。
『日本の苦境は日本国民自らの行為の直接の結果にして、連合国はその蒙りたる損害復旧の負担を引受けざるべし』

歴史教科書.jpg

支援しないだけでなく食糧輸入も禁止され、さらに冷害・台風による不作の追い打ちをかけられ、その結果、国中が終戦前のひもじい生活にも勝る飢餓状態に陥っていました。
「買い出し」という言葉は戦中のことかと思っていたら戦後のこの時期に盛んに行われていたようです。

終戦2か月後の東京では白米の最高闇値が公定価格の132倍にもなったそうです。(今だと5㎏2,400円のゆめぴりかが、316,800円ということになります。)
これでは暮らせないということで、米よこせデモや食糧メーデーが起こりました。

食糧危機をめぐる混乱が暴動や内乱、或いは日本の社会主義化に発展することを恐れたGHQがここで方針転換やむなしと判断しました。

そして、1946年2月に最初の食糧放出が始まり、その後、食糧の輸入も認められ、さらに、復員兵や引揚者が農業従事に復帰したことで米の収穫量も増え、reizanが生まれた1948年には国民の多くが食糧危機の最悪の事態を乗り越えたことを実感にしたようです。

だからひもじい思いをすることもなく育ち、経済成長の恩恵を受けながらぬくぬくと暮らしてきました。
世の中いろいろありますが、前半生は概してラッキーでした。
後半生のことは今真っ最中ですから客観的にみることができません。あの世とやらに逝ってから総括することになるでしょう。


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